水中写真家”尾﨑たまき”女史のヒメタツ(タツノオトシゴの一種)の撮影に同行した。
1950年代チッソが垂れ流したメチル水銀による汚染魚を封鎖する為に、1974年水俣湾に”仕切り網”が設置された。
網内の生物捕獲→安全宣言→仕切り網撤去が1997年。
1995年から水俣湾に潜り、仕切り網の内側の撮影をしたのが、彼女だ。
1977~1990年ヘドロが酷かったエリアが埋め立てられた。(現在の”エコパーク水俣”エリア)
埋め立ての後もヒメタツは、生息していたそうだ。
島根や伊豆、天草と比べてもタツノオトシゴ生息数が多いのが水俣の海。
熊本市出身東京在住の尾崎女史は、毎年「水俣の海」を撮り続けている。
水俣ダイビングサービス”SEAHORSE”の森下誠さんは、ほぼ毎日”ヒメタツ”を観察している。
今年は、”湯の児海岸”で91匹を確認している。他の生息エリア”湯の児島””水俣湾”を含めると約300匹が、「水俣の海」に生息しているそうだ。
過去に「死の海」と呼ばれたこの海の、再生のシンボルが「ヒメタツ」なんだと思う。
ヒメタツは雄が子どもを産む(厳密に言うと”育児のう”で赤ちゃんを育て腹から出す)。雌の卵を雄がお腹で受け取る時、2匹の形がハート型になるため大人気なのだ。[写真]
(ちなみに、ヒメタツは全員雌で産まれ、一部が雄に変わる「フシギなさかな」だ。)
是非ご覧頂きたい。
尾崎たまき 最新出版物:写真絵本「フシギなさかな ヒメタツのひみつ」(新日本出版社刊)
ほか、写真絵本「みな また、よみがえる」、写真集「水俣物語」等既刊