1974年水俣病の原因となったメチル水銀による汚染魚を封鎖する為に、水俣湾に”仕切り網”が設置された。
網内の生物捕獲が行われ、安全宣言が発令された。1997年に仕切り網が全て撤去された。
1977~1990年にかけて、ヘドロが酷かったエリアが埋め立てられた。
(→現在の”エコパーク水俣”のエリア)
尾﨑たまきさんは、1995年から水俣湾に潜り、仕切り網の内側の撮影をした。
当時、陸の上では、”死の海”と呼ばれた仕切り網の内側は、海中では、命があふれていたそうな。
ヒメタツ(タツノオトシゴの新種)も生息していたそうだ。埋め立てや護岸工事によって、海の生き物はどう変化したのだろうか。
尾﨑たまきさんは、彼女が師事した日本における水中報道写真家の第一人者、中村征夫氏が東京湾を撮り続けたように、水俣の海を発信し続けている。
ヒメタツの生息数は、増加しているそうだ。
“再生の海”へと向かう、そのシンボルがヒメタツなのかも知れない。
(主な出版物)
2013年写真絵本「みな また、よみがえる」(新日本出版社)
2014年写真集 「水俣物語」(新日本出版社)
2019年写真絵本「フシギなさかな ヒメタツのひみつ」(新日本出版社)